「リズム」「くちぶえサンドイッチ」
大きな夢はまだ見えないけれど、やりたいことができた「さゆき」のことがわが子のようにうれしくなった。ファーストフードのお店でアルバイトしたり、高校の美術部に入って絵も描きたい。そして明るい男女交際もしたい、そういう小さいことをいちいち楽しみながらやっていきたいって。そうだよ、どんなに些細なことでも楽しめることが大事だと激しく同感である。
本を売る人にとっても興味がある。
292ページの娘とドングリを拾う話がとっても心に残った。
彼と娘が公園でドングリをバケツ一杯拾ってはそれを土に埋めるを何回も繰り返す話である。そして結局全部は拾えないとあきらめる話。
最後の一文は
「その日、ぼくと娘はドングリのことが全部わかったようでうれしくて仕方がありませんでした。何かを知るってこういうことなのですね。」
膨大な情報のゴミ箱に中で、そこだけポワーンとしている光の中でドングリを拾っている親子の映像が浮かんだ。なんだかうれしくなった。
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私の中ですごく腑に落ちたところがあった。
「べつにどうということもない時間だったが、あれこそまさに、もっとも幸せな時間だったのかもしれないと今になって思う。(途中省略)満ち足りた時間。欲しいものがみな揃っているから満ち足りるんじゃない。なにかが欲しいと思う必要がない、そういう欲望とは無縁でいられる、ゆらゆらと時間の中に漂っているかのような・・・・・・」
ああ、幸せだなあと思う瞬間がある。そういうときに何故自分が今幸せと感じるのだろうと思った。それはその時々で具体的なことがあってそれで幸せを感じるのだが、もっと大きく表現するとすれば「何かが欲しいと思う必要がない」時なのかも。
こういうことを言葉にできるんだ。
男子達はとっても魅了的なのだが、藍子が何故そんなことをしているのかという動機が全く理解できず消化不良。だからミステリーとしても中途半端な終わり方だった。
読みました。
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約1k月ここを放置していた。
読んだり、見たりしたものは結構あるのだが
「カシオペアの丘で」(上)(下)
許したい、許されたいという思いでつまった話だった。
でもなんだか間延びした感。この3分の2でいいのではと思う。
炭鉱事故の話から、真由ちゃんの事件、それにミウさんの話、恵理さん、哲生君、幼馴染みの4人、それぞれを丁寧に描いているからなのだが、果たして全部必要だったの?シュンとミッチョの東京の話が私には余計に思えてしょうがない。なんだかキレイにまとめてしまったようで印象が薄い。私はナイフのような「どうしようもないけど、こうしかできない」みたいなどんくささがいい。
「カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男」
世界の紛争地で必ず使われているAK47自動小銃を設計したカラシニコフの自伝。
スターリンからエリツィンまでのロシア(いやソビエト連邦か)の現代史をカラシニコフを通して見たようだ。意外だったのはスターリンの評価が高くて、ゴルバチョフのことをけちょんけちょんに言っているところ。確かにソビエトを崩壊させたのはゴルバチョフだが。
私はこの人の旅行記がやっぱり好きだ。
ここでは薫の後半のほうがいいと思う。なぜだかのめりこまなかったが、「この子はまだ朝ごはんを食べてないの」には泣けた。
「人のセックスを笑うな」と「乳と卵」
- 作者: 山崎ナオコーラ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
- メディア: 文庫
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磯貝みるめ19歳と猪熊サユリ39歳の(愛)とセックス。この関係が恋愛なのかどうなのかどうもわからない。けれど、みるめが、オレの心が食い込むと、いうのだ。
「しかし恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形があるわけではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ」
それを愛というのだろうか。そういいながらもセックスの描写はいたって淡白で動作の描写しかないのがかなりいい感じである。だから妙な落ち着きがあり、最後の「会えなければ終わるなんて、そんなもんじゃないだろう」というみるめの言葉に強さと懐かしさを感じて、ああ、いいなあこの小説と思った。
「武士の一分」
結局最後まで三村(キムタク)が魅力的に見えず、感情移入もできずに終わってしまった。
失明したあとの失意も妻が弄ばれた事を知った後の怒りや哀しみも何もかも伝わってこない。
愛し合っている夫婦なら、長年連れ添った夫婦なら、しかも小さい頃から一緒だった妻だったのなら、彼女の苦しみを思いやることこともできただろうに、即刻離縁などという三村には、全く。しかも失明した自分が禄を取り上げられずにいることが妻が身体をかけて頼んだ島田の口ぞえなどではなく、藩主の温情だと知ったあとに島田と果し合いをするなんぞ、まったくもって、その前にすることがあるだろうと時代考証も何も考えずに思ってしまう私がいけないのかもしれないが。
孤児で小さい頃から三村の妻となることを願ったいたという加世。そして願いがかなって三村の妻となった今があるわけで、孤児と三村の結婚には身分のことやらなにやらきっとそれなりのドラマがあったはずなのに、二人の昔のエピソードのひとつもないというのが残念。そんなものがひとつでもあったらちょっとだけ三村の愛も信じてみることができたのかもしれない。
そういうわけで、果し合いはどうしてもしなければいけないものなのか、やむを得ないことなのかということが絶対的に伝わってこない。妻がいないという切なさも全く伝わらない。
山田監督にしては、どうなのよ。
感情の動きを追うというよりも、今回はストーリーを追っているように思えてしまってしょうがないのだ。食事のシーンはラストにつながるだろうなあというのは予想できたからしつこく食事のエピソードをいれているのはわかるけれど、そして、くどいようだけれど、それよりも夫婦の愛情がもっとよくわかるエピソードを!