溢れる思い

と、ロマンティックなタイトルをつけたのは、wowowで「秋の童話」#7、8話を見たから。どこまでも引きずりこむらしい、この禁断の木の実は。


再会したジュンソとウンソは、お互いの溢れる思いを止めることができない。
先週の5,6話からずっと気持ちは行きつ戻りつで、4時間も引っ張る。そんな思いを隠すすべも持たないんだジュンソとウンソは。無防備というか。だから、当然、ユミやテソクにばれてしまうんだが。


実は「秋」は今wowowでみている前半は初見だが、最終回までの後半4話はすでに友人からDVDを借りて視聴済み。この先どうなるかがわかった上で見ているのに、こうも泣けるのは何故だ!単に涙腺の問題なのか?私の?


こうも泣かされると、突然冷静になって、何故自分が泣いているのか考えてみるが、
どうも、この二人の止めようとしてもあふれ出てくる思いっつうもの以外は考えられない。「秋」に関しては、だれか一人に感情移入しているわけではないのだ。ジュンソだったりウンソだったり、テソクだったり、時にはシネだったり、もちろん両方の母親だったり。考えてみたら「秋」には無駄な登場人物がいない。


「冬」「夏」には主人公二人の先輩がでてくる。この先輩たちだが、ドラマの中で重要な位置にいるわけではないが、ストーリーを展開させるために必要とされているとしか思えない。この先輩たちの存在が、特に「夏」では、主人公二人の気持ちの代弁者になっていて余計な存在に思えてしかたなかった。だからいまひとつ、はまりきれなかったのかも。今思い返すと、「冬」ではこの先輩たちもそれほど余計ではなかったし、かなり洗練されたドラマだったと思う。「秋」にはそんな洗練さはないが、感情だけはものすごくストレートに伝わってくるのだ。


「冬」でユン・ソクホのスタイルが確立されて、「夏」はその確立されたスタイルをなぞっているだけだから面白くないと思ったのかもしれない。登場人物の構成が「冬」とまるっきり同じだから。考えてみたら、主人公たちが山や海で二人っきりになって帰れなくなるシチュエーションは全シリーズにあるぞ。(同じじゃないか!!!まあ、四季シリーズだから同じでもいいのか?)


「秋」はこれからはテソクの報われない愛に泣くのか!