「王の男」

なんでかなあ、なんでかなあとしっくりこない。
理由は実に簡単で、想像していた映画じゃなかったからなのだけど。
いや、映画自体はとても素晴らしく、
チャンセンとコンギルの芸も友情も王のわがままも孤独も宮廷の権力争いも
すべてがコンパクトに無駄なくまとまっていて何もいうことはないのだ。


何が足りないかって?
「愛」と「嫉妬」と「愛憎」。
そういうものが欲しいのよ、とぶつぶつ。。。
芸や宮廷は私にはちょっとした添え物でもよかったんだけど。


チャンセンの愛情はなにもかも包み込んでコンギルを守ろうとしている大きな愛だから、王に「嫉妬」どころかひたすらコンギルの心配で、このまま王のところにいて大丈夫だろうかと。王はといえば、コンギルに夢中になり独り占めしたかと思えば、すぐに元の愛人のところに簡単に戻ってしまうし、コンギルはコンギルでチャンセンのことをどう思っているのかあいまいなまま。


チャンセンには「嫉妬」を、王には「愛」をコンギルには「愛」と「同情」の狭間の苦悩をもう少しちりばめてくれるとよかったなあ、と映画を見ながら別の妄想にとりつかれてしまった。


コンギルのイ・ジュンギ
がっつりした身体なのに、時々「守ってあげたい」オーラを放つから不思議。


自分の妄想で映画を捻じ曲げちゃあかんと思うが、そんな妄想を掻き立てる映画だった。