「いつか読書する日」


久しぶりの日本映画。
いい。
風景も音も日本だ。

坂、坂、坂の長崎の町。
牛乳瓶がカチャカチャとぶつかる音、美奈子(田中裕子)が坂道を駆け上がる息遣い。美奈子が昼間つとめているスーパーのレジの音。槐多(岸部一徳)が在宅看護で観ている妻の点滴の袋を開ける音。
物語はこの美奈子と槐多の30年にわたる恋の話である。ふたりの日常を彩るこれらの音は、日常を淡々と描いているだけのようでいて、決して外にはださない二人の恋心が外へでようとする瞬間の音のようにも感じられる。


この映画の最大の魅力は田中裕子である。
いつも彼女の演技は裏切らない。


橋の上で考え込んでいる槐多の後姿に呼びかけるシーンがある。
最初は「高梨さん」と呼びかける。市役所の職員である槐多に。
何度読んでも槐多は気がつかない。
美奈子は突然、「槐多!」と叫ぶ。


この「槐多」という呼びかけは、かつて高校時代に付き合っていた頃の、そして30年溜め続けてきた思いのすべてが一瞬、放出される感じなのだ。たったひとつの一瞬のセリフに、この歴然とした呼びかけの差を表現できるのだ。田中裕子は。
だから、槐多が動揺して振り返るのだ。この一徳氏もよかった。



自分が死んだ後に夫を頼みたいという妻と、そんな頼みごとをする槐多の妻に「ずるい」という美奈子。この辺の描き方があっさりしすぎていいる感が否めない。確かに「ずるい」という言葉にはいろんな意味がこめられていると思うが、もっと二人を対峙させて見せて欲しかったと思う。
最後に妻からの手紙だけ、というのはずるい。